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ちょんまげに歴史あり!日本字はなぜあのド変態な髪形が流行したのか徹底解説!

 

ちょんまげ・・・

漢字では「丁髷」・・・

英語では「chommage」・・・

すばらしいですね。

これぞJapanって感じがして、最高です。

しかし、今更ですけど、なぜ昔の人たちはこぞってあんなド変態な髪形をしていたのでしょうか。

控えめに言っても変態ですよね。あの髪形。

わざわざかっぱみたいに髪の毛剃って、なおかつなぜ後ろ髪を伸ばしてそれを縛ってあたまの上に乗せたのか、ほんと疑問しかありません。

気になって調べてみたところ、意外なことにちょんまげにはちょんまげにするべく理由があり、やや実用的?とも言えないこともない事実があったのです!

ということで、さっそくちょんまげの謎について迫っていきたいと思います。

本記事は、子供さんの夏休みの研究にも使えるすばらしいテーマとなっておりますので、ぜひご活用くださいね(だれが使うねん

 


ちょんまげってそもそもなに?

 

今更説明するまでもないとは思いますけど、ちょんまげってそもそもなんぞ?って話ですよ。

ちょんまげと言えば、時代劇などでよく見かける、前頭部分を剃り上げて残りの後ろ髪をひもで結んでつむじあたりにちょこんと乗せた、おしゃれの概念とか理念とかそういった枠を取っ払うどころか捨て去った、THE・斬新 な髪形のことを言います。

お侍さんがやっているイメージが強いですが、江戸時代くらいになると身分関係なしにみんなやっていたようです。

なんで「ちょんまげ」って言うの?

ちょんまげという絶妙なネーミング、なぜそう呼ぶのか気になりませんか?

実は、もともと「ゝ髷」と表記していたそうで、”ゝ”の部分がちょんまげに似ていることから「ちょんまげ」になったそうです。

意外にも見た目からとっただけというシンプルイズベストの精神。さすが変態大国Japan。

ちなみに、時代の移り変わりとともにゝの字が丁の方に変わり、わたしたちがよく知っている「丁髷」になりました。


ちょんまげにした理由が意外と不快もとい深い

猫も杓子もちょんまげだったわけですが、なぜここまであのド変態な髪形が日本で浸透したのでしょうか。

わたしたちの生活に置き換えたとしても、全員が全員同じ髪形ということはまずありませんよね。

わたしのように髪形を自由に作れないうす毛のおっさんもいますしね。あれ、おかしいぞ?なんだか目からしょっぱい水が・・・

冗談はさておき、ちょんまげが流行したのには理由があり、答えはちょんまげのルーツの中にありました。

ちょんまげのかっこいい?歴史をひも解こう

わたしたちのイメージとしては、ちょんまげ=江戸時代 的な印象が強いですが、実際にはちょんまげが世に出始めたのは江戸時代よりもさらにはるか昔である平安時代の貴族が発祥だと言われています。

貴族から武士に、武士から町民に広がりを見せ、ちょんまげはすべての日本人に愛されるようになるわけですが、これにはきちんとした理由と時代の流れがあります。

さらに前時代の飛鳥時代に中国から冠を被る文化が伝わっていた我が国日本では、烏帽子という冠を貴族たちは被っていました。

しかし、ここで現実的な問題がおこります。

当時、烏帽子は漆で塗り固められていたため、帽子の中が非常に蒸れる構造になっていたのです。

なんとかしたい一心で思いついたのがちょんまげの原型ともいえる「髻(もとどり)」(髪の毛を後ろで束ねておったてる髪形。ひな人形のお内裏様のイメージ。髻を曲げてつむじに乗せたのがちょんまげ)で、貴族たちはこぞって髻スタイルを取り入れていきました。

貴族から武士に髻が受け継がれて悲劇は起こった

時は流れ、鎌倉時代にさしかかろうかという時代、当時は徐々に武士が権力を持つようになっていました。

貴族の真似をするかのように髻スタイルを取り入れ始めた武士たちは、貴族以上に現実的な問題に直面していました。

それは、兜が蒸れる問題です。

貴族とは違い、武士は合戦に出て激しく動き回ることから、烏帽子以上の蒸れを感じる羽目になり、何かしらの対策を講じる必要があったのです。

それが月代(さかやき)です。

月代とは、わたしたちが良く見知っているちょんまげのまげの前頭部分の、あの青く照り光った部分のことを言います。

つまり、武士たちは、あたまの蒸れを軽減するために、前髪からつむじにかけて髪の毛をそり落とすという正気の沙汰ではない決断を下したわけです。

そして、髻も兜に収めるには邪魔だったため、髻部分を紐で結ってつむじ付近にちょんとのせました。

ここまでくればおわかりですね。

ちょんまげが誕生した瞬間です。

ちょんまげにせざるを得なくてちょんまげになった

当時の状況はわたしには詳しくわかりませんが、武士たちの兜内の蒸れは相当な問題だったのだと推測できます。

合戦中に頭部の蒸れによる汗が目にでも入れば、それだけで命取りになることもあるでしょうし、単純に頭皮環境にも良くないでしょうから、わたしのようにうす毛になってしまう危険性ももちろんあったはずです。

それらを鑑みて、先人たちは「そうだ!髪の毛剃ろう!」という、究極の選択と答えを導きました。

それに対してわたしたちか意見できるかと言われたら、文句しかありませんね。

ふざけんなよ!なんでそこまで剃り上げる必要があんだよ!恥知らず!

兜をかぶらなくなったのにちょんまげが廃れなかった理由

戦国時代を無事に切り抜けた我が国Japanは、割と平和とは言えないけど平和な江戸時代を迎えます。

すっかり兜をかぶることもなくなり、蒸れとはおさらばしたのにも関わらず、相も変わらずどいつもこいつもちょんまげをぶらさげて(?)て闊歩していました。

ここでちょんまげは大きく舵を切ります。

月代スタイルとNOT月代スタイルです。

蒸れとは疎遠になったせいか、髷はそのままに、月代部分を剃り上げないスタイルが流行の兆しを見せる一方、それが不潔に見えると月代スタイルを貫く硬派な江戸っ子もおり、世の中は大きく二分します。

さらに時代が進むと、月代部分以外にもさまざまな変化が訪れます。

髷を太くしたり、細くしたり、はたまた角ばったものまで、それぞれが独自の信念のもとにちょんまげでおしゃれを楽しむようになりました。

その自由度がウケたのか、ちょんまげはとある事件が起きるまで、廃れることはなかったのです。


ちょんまげの種類が想像以上に豊富で抱腹絶倒

ちょんまげ、と一言で言っても、江戸時代のようにさまざまな独自のスタイルが確立されていたため、意外にもたくさんのちょんまげスタイルがあることをご存じでしょうか。

ここでは代表的なちょんまげスタイルを紹介していきますので、あなたも気が向いたら挑戦してみてくださいね。

①銀杏髷(いちょうまげ)

わたしたちが良く知っているちょんまげがこの「銀杏髷(いちょうまげ)」です。

お相撲さんのちょんまげを「大銀杏」と呼ぶのは広く知られていますが、この語源となったのが銀杏髷で、髷部分を長めにする武家スタイル、逆に小振りにまとめる町人スタイルなど、さらに細かく分類できます。

現代人であるわたしたちには、ちょんまげと言えば銀杏髷!みたいなところがありますよね。

②本多髷(ほんだまげ)

月代部分を大きくとる「本多髷(ほんだまげ)」は、”粋”が大好きな江戸っ子に流行したちょんまげスタイルです。

金魚本多、浪速本田などの種類があり、わたしの調べによると、若旦那的な人たちが広く愛したスタイルのようで、遊郭で有名な吉原では、本多髷でないと相手にされなかったとかなんとか・・・

ちょんまげだけでそこまで差別されるとは、本多髷はかなり魅力的なスタイルだったようですね。

③茶筅髷(ちゃせんまげ)

「茶筅髷(ちゃせんまげ)」は、本多髷を上回る奇抜さが売りのちょんまげスタイルです。

客観的に見ると、寝転がるのも一苦労しそうだなぁという感想しか浮かばない独特の形をしており、髷部分が後頭部に垂直にささっているかのごとく、立ち上がっています。

織田信長が採用していたスタイルとして有名で、どちらかというと「かぶきもの(ちょっと変わった人)」たちに愛されたスタイルだったようです。

かぶきものだけに、普通のちょんまげでは満足できなかったんでしょうね。

月代(さかやき)の維持が地獄絵図で逆に笑える

先ほどからちょくちょくでてくる月代(さかやき)ですが、剃っていると思っている人も多いはずです。

現にわたしも本記事中では剃った剃ったと連呼しています。

しかし、実際には木製の毛抜きで抜いていたそうです。

いやいや、ドMすぎませんか?

髪の毛抜くって、抜くくらいならくれよ!(魂の方向)

剃ればいいじゃんって、個人的には思いますけどね。

実際、江戸時代の風俗を書いた「慶長見聞集」には、「黒血流れて物すさまじ」と記されているようで、当時の人たちは、あたまを血だらけにしてまでわざわざ月代スタイルを貫いていたんですね。

あたまおかしいとしか言いようがない。

調べてみると、抜いていた理由についてはわかりませんでしたけど、どうやら豊臣秀吉の時代くらいからは剃刀できれいに剃る方が良いみたいな風潮になっていったようです。

月代に隠されたほんとうの意味がちょっとかっこいい!

月代が当たり前だった時代は、江戸時代よりも前の合戦合戦の日々が続いていたころです。

兜の蒸れを防止する意味で月代スタイルにしていた、というのは表向きの理由で、実は「主君とともにいつでも戦場に出られるように」という意味合いも含んでいたそうです。

月代の手入れ(?)を常日頃していないと、いつ戦場に赴くかわからないわけですから、そういった心の現れを体現していたと考えてよいでしょう。

つまり、月代=忠義の証 といったところでしょうか。

あんな恥ずかしいあたまなのに、隠れた意味合いを知ると、ちょっとかっこよく見え・・・ませんねやっぱり。

ちょんまげが現代に続かなかった理由があっさりしすぎ

江戸時代に流行りに流行りまくったちょんまげスタイルも、ある日を境にその勢いをなくし始めます。

というか、なくさざるを得なかった理由があるのです。

それが、「散髪脱刀令」です。

散髪脱刀令がちょんまげスタイルにとどめを刺した

時代は流れ、江戸時代から明治時代へと移り替わりました。

当初はまだまだちょんまげラーたちが往来を闊歩していましたが、そんなちょんまげニストを否定するかのごとく「散髪脱刀令」が施行されます。

散髪脱刀令とは、「髪の毛は髷で結わなくていい、刀ももたなくていい」という法案で、明治6年に明治天皇が髷を落としたことから、急速に民間にもその流れが浸透したのです。

現代のちょんまげはお相撲さんしかいないという悲しみ

もし散髪脱刀令がなかったら、考えたくはないですけど、もっと長い間ちょんまげスタイルだった可能性がありますよね。

なにか間違って現代まで続いていたら、テレビに映るアイドルたちがちょんまげを揺らしながら歌って踊ったり、オリンピックで活躍している日本人たちの競技中は、各国のテレビ局がちょんまげばかりに注目したりと、想像しただけで震えることになっていたのでしょうね。

しかし、現代でもお相撲さんのあたまを見てバカにしたり、笑う人はひとりもいませんから、案外普通に受け入れていたかもしれません。

今となっては真相は闇の中ですが、外国人からは奇異の目で見られていたのは間違いないでしょう。

これであなたもちょんまげマスター!

 

日本人のルーツである「ちょんまげ」についてお伝えしてきましたが、調べてみると、意外ときちんとした流れがあり、そして意味もあっておどろきました。

伊達でふざけてあんなあたまにしてたわけじゃないんだ・・・というのが素直な感想です。

意外と知っているようで知らないちょんまげについて詳しくなったあなたは、もうどこに出しても恥ずかしくない「ちょんまげマスター」です。

さっそく家族に、友達に、学校の先生に、職場の同僚に広げて、「こいつなにちょんまげについて熱く語ってんだろう・・・」という冷めた目で見てもらう”月代”なみのドMゲームを味わいましょう!

 

 

 

 

ABOUT ME
うす毛のおっさん
30歳を過ぎたあたりから「あれ?おまえアタマやばくね?」と周りから言われるようになりました。 最初は「え!マジで!?」みたいな大きなリアクションをとっていましたが、今ではノーリアクション! うす毛なんか気にしない!・・・つもり Twitter始めたので気軽にフォローお願いします。@usugeburoger